学術会議やこども家庭庁の話などを聞いていると、何となーくだが、国は学術や家庭の領域に実効支配の手を伸ばしたいというよりも、むしろ象徴的な次元で動いているのではないかという疑念がわく。合理的政策の決定(良い政策という意味ではなくて「彼ら」の目的にとって実効性を持つ政策という意味)や行政の施行よりも「戦後民主主義に連なるものは全て敵」という論理が優先されているじやないかと。
こういうムーブメントは、それこそ敗戦直後から陰に日向に脈々と続いてたのだろうけど、今あるような大輪の花となって咲いたのはやはり安倍晋三のおかげであろう。彼は60年安保闘争に恨み骨髄だった岸信夫の遺志を継ぐ人間であると共に、恐らく「知」なるもの全般に根深いルサンチマンを抱いていたと推察される。(周りに侍らせてたメンツを見れば、そりゃもう…)つまり、彼はエスタブリッシュメント中のエスタブリッシュメントでありながら、反エスタブリッシュメントの面をも持つという、大衆が非常に感情移入しやすい対象だったといえる。これで彼 が岸田総理のように弁舌さわやかだったら、たぶん総理にはなれなかっただろう(って誰かが言ってたような)。