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ウッソの教えてくれた親子のこと

 Vガンダムでは、親子の問題をテーマにしました。

 ぼくも、二人の娘を育てる経験を得たことから、自分が子供のころに、うすうす感じていた親と子の問題というものを、親の側からみてみた、ということです。

 むかしは、といいますと、若い方は、いいかげんにしろ、とおっしゃいましょうが、聞いて下さい。

 貧しかった時代と保健衛生が不十分であったむかしは、人びとは、暮らしていくだけで精一杯で、子を育てること自体が難しかったのです。

 出産自体が、母親と子の命をかけた作業であったのですから、七五三という祝い事が行なわれた背景にある人びと心理は、やれ三歳まで育ってくれたか、着物の上げ糸をとるほどに成長してくれたか、元服をさせねばならん、という慶事であったのです。

 その時代の親たちは、そういう慶事以外で、子供たちにかかわり煩う暇もないほどに、暮らすことに精一杯だったのです。それでも、親子の関係は、きちんとありました。
                  
 

  

現在は、ある部分発生した暮らしの余裕というものから、われわれは、より豊かに子供に接する心をもち、子もまた、子供として充足された生活を保証されていいはずなのです。

 しかし、現実は、そうではないのは、みなさんが、ご存知のとおりです。

 なによりも、自分自身が、たっぷりとした親として、子供に接することができたのか、といわれれば、ぼく自身、慄然とせざるを得ないのです。

 大人の独善とはいわないまでも、欲を子供に振りかけすぎなかったか、まちがいのない道のつけ方を示してやれなかった、といった疑心にとらわれ、なによりも、忙しさを口実にしてきたという反省があります。

 そういうぼくは、ウッソ・エヴィンというキャラクターをとおして、子供の心をのぞいてみたいと欲望しました。

 ですから、作り方としては、まず、親としての理想をウッソにすべてかけてみました。

 そのうえで、ウッソから、親の欲を見上げてみたときに、なにが起こるかという構造で、物語を考えたのです。

 
 

  

そして、物語を展開してわかったことは、親の欲とか理想を子供になげかけすぎたとき、子供は被害者になる、という当たり前の発見でした。

 このことは、プランニングの段階でも、想像はついていたのですが、この一年という製作期間をつうじて、この子供の痛みが、実感としてわかったと思っています。

 そして、世間のことを考えていったときに、親子にとって、いまの時代は、とても険悪な時代になってしまって、われわれが、実生活のなかで、当たり前の親子をやるのは、ますます難しくなるのではないか、と痛感するようになったことです。

三十一の二乗🗿

  

親子を当たり前の関係にするためには、われわれ大人が、より明確な自意識をもって、人らしい『情』を、自身のなかに育てなければならない時代になった、と実感するのです。

 それが、ウッソが、ぼくにくれたメッセージでした。

 ウッソという名前。

 ぼくのなかで、直感で生まれた名前だったのですが、ウソっぽいものが充満している時代の申し子としてのウッソ、という意昧もないではありませんでした。

 そのウッソ・エヴィンが、身体を張って教えてくれた人の実感というものは、なにをおいても大切なことだと痛感するのです。