差別は人を殺しうるという観点から差別に反対しているが、それとは違う視点として。差別によって自身に危険が及ぶ訳ではない人の立場で、他人が差別発言をしたときのことについて、以下のようなことを考えている。
差別発言って、それがあるとそれを取り巻く全ての人が差別についてどういうスタンスなのかが目に見える形になってしまう、いわば踏み絵なのだと思っている。つまり、例えばあなたがスルーするという行動をしたならば、あなたは差別発言に同調こそしないものの、それを止めたり、自分はそうは思っていないと表明したりまではしない人間であり、その差別を見て見ぬふりをすることを選択した、ということが明確になってしまうということ。
だから、どうもなんか「差別と騒ぐやつのせいで困る」みたいな態度を取る人がわりと多いけど実際は逆というか、シンプルに「差別発言によって周囲に踏み絵を迫るやつがいるから困る」というのがより正確な認識なのでは?と思う。
差別発言によって自身の生命を脅かされる可能性を全く認識していないから差別について深く考えてはいないけど、少なくとも差別はよくないよなぁ、くらいには思っている(と信じたい)大多数の人々にもってもらいたい認識は、この「差別発言する人こそが踏み絵を強いている」の部分で、だから少なくとも「差別発言する人は迷惑だ」という共通感覚を作り上げて欲しい、と感じている。
差別によって今まさに苦しんでいる人にとっては、私のこのような発言自体が差別を軽く見ているような物言いであることは認めます。すみません。あくまで、差別に関する認識が浅い日本社会のマジョリティを動かすには、という視点で書いています。