春休みの子らをと桂浜の坂本龍馬記念館まで遠方への旅。下の子がマンガ「おーい竜馬」を読んで維新前後のことに興味がでてきたようなので、そのタイミング。ついでに室戸岬まで太平洋を眺めつづける旅になった。
記念館ではちょうど「天誅」という特別展をやっていて、維新前の動乱期における暗殺に関する当時の絵付きの調書がいくつも展示されていて、これがなかなかすごかった。暗殺したあとに首をさらしものにして暗殺者は逃走するわけだが、その首の絵が色付けで丁寧に描かれており、頭のどこを切られたかとかが、よくわかるようになっている。大抵はぱっくりと割れた部分があり、斬り損じたのであろう。陰惨であるものの、報告書の仕事ぶりは見事なものであった。たしか、竜馬も同じように頭の裂傷が致命傷になったはずである。
キュレーターの解説に、「テロリズムではあるが、政治的使命によるものだった」と、好意的に解釈するような文章があったのが気になった。その場で「いや、それただのテロなのだが」と独り言を言ってしまった。自らの専横で人が幾人死んでもなんとも思わない兵庫県知事のような人ががでてくるような時勢を反映しているのであろうか。
京都の街はついこの前までのメキシコみたいな、暗殺と死骸をアピールする地であったのだが、それもたかだか170年前の話である。私の先祖は父方は佐幕、一方の母方は倒幕で、蛤御門の変に参戦し捕縛されて馘首寸前であった様子なども伝え聞いている。父方と母方の数代前の先祖がいわば首狩族のごとく殺し合っていたわけで(父方はにげまわっていただけのようであるが)、この気分は「平和な日本」の実は今でも基底を為す残虐性、すこし遡れば19世紀後半から20世紀なかばまでの暴力上等な日本を経て、私の中にも潜んでいるのではないか、と思えて仕方がない。