例の土産の件、政治家はなぜ「普通のこと」が普通にできないのかとまだ考えている。
「普通のこと」とは、やんごとなき人の家にいくときは、その人の喜ぶ土産を持参するか、わからなければ日本の伝統工芸品や銘菓の「お高そうなの」を選べば良い。日本人同士だと、よくわからないと虎屋の羊羹(苦笑)持ってったりするやん。あれが「普通の感覚」
メッセージ性を込めたければ、知性さえあればそのカテゴリーの中でも平和のメッセージを込めたものを探せる。いくらでもある。
気の利いたものにしようという野望、地元のものを選ぼうという利己心、センスの悪さ、選挙事務所アイテムから選んでしまう目先の狭さ、自分で深く物事を考えず踊らされる浅はかさ。
色々なものが重ならないと、あの選択にはならない。珍しく「街の声」的なものもほとんどがネガティブであり、そのことは政治家の感覚が「普通の感覚」と違うことを象徴しているのではないかな。
これが政治家の「平和観」「戦争観」「国家観」の普通の人との違いに繋がっていると思うし、それを無条件に賛美しようとする人の存在を見ると、やはり寒気を覚える。
コトの根は意外と深いと思っている。