まあなんていうのかな。しゃもじをあげたって、死にはしないんですが、少なくともあまり頭の良いお土産でないことは確かですねって感じなのと、得意になって選挙戦に勝った時の験担ぎと同じ感覚で、戦争中の他国に自分のサイン入りのこの種のものを贈る人物に、個人的には鈍感さを感じるし、生理的には嫌悪感を覚えます。自民党の代議士全般に漂う感覚ですけれどね。
事務所に必勝しゃもじを掲げてニコニコするような感覚で、この人戦争に突っ込んでいくんじゃないかとも思えて、そこがまた不気味で恐ろしい。
で、しゃもじの件は(まあ大したことじゃないとはいえ)やはり僕は違和感を拭いきれないわけです。
別角度から見ると、日本人にとっての神社と、海外から見た神社っていうのもまた全然意味が違うと思う。我々は笑って流せたとしても、海外から見たら「日本の首相が宗教的な護符の意味を持つお土産を持参した」と受け止められるわけです。やはりそういう国なんだよね日本はと。(実際そういう国ですからね。ネで始まる人達は何が悪いんだと開き直るだろうし)
先日、あの宗教との癒着が大きな事件になり元首相までその関連で殺された。靖国神社への参拝が問題になっているのはもはや年中行事。
そういう中にあって、戦禍の国を訪問する一国の総理が持っていくのに相応しいものだったかどうか。我々の国のイメージとしてこれからもあれで良いのかどうか。
こう考えていけば自ずと答には辿り着くんじゃないかな。日本には他にも差し上げるに相応しい素晴らしいものはたくさんあるんじゃないのかな。何も「首相の地元の神社」でなくても。
ゼレンスキー、そしてウクライナの人から見たら、やはり来てくれたのは嬉しいだろうし、そこで「わけのわからんもの持ってきやがって」なんてまさか思わないと思う。戸惑いながらも(苦笑)。
けれど我々は違う。あれが何だか知っているし、理想とする国のあり方も、みんな持っていると思う。他国に対して厳しくて、自国に対して鷹揚で鈍感なのが、僕はネトウヨの一つの定義だと思っているけれど、そうではありたくない。
自国には厳しく、他国のことにはできるだけ理解をしたい。そういう観点で考えれば、土産一つでも議論はあるべきだし、多くの人たちの神経を逆撫でする内容だったのも確かだと思う。
奇しくも
「神は細部(ディテール)に宿る」という言葉もある。