関東大震災時の朝鮮人虐殺はもちろん重大な事件で、忘れてはならないどころか、忘れる前にまず知らなきゃいけないだろうという話だし、この前参加したフィールドワークでは、街に、歴史に、殺された方々への思いやりなど全く見られなかったことに憤慨もした。なので、それは絶対に報じなきゃいけないし話題にしなきゃいけないのは間違いない。福田村を語るなら直接朝鮮人虐殺を語るべきだと思う。
ただ、私は、中国人虐殺はもっと知られてないし、朝鮮人虐殺と中国人虐殺は違う側面もあるのにあまり知られていないような気がするし、自分の祖父が犠牲になってたかもしれないのだし、ここ数年関東大震災時の中国人虐殺の書籍を読んできて一応知っているとこはあるので、そっちを話題にして行こうと思う。
わたしが関東大震災時朝鮮人虐殺を、中国人虐殺との比較においてはあまり語らないとは思うが、それは、朝鮮人虐殺をどうでもイイと思っているワケではけっして無いという事を念の為ここに書き残しておこう。
ってちょっと思った。
わたしの読んだ書籍からは、関東大震災時の中国人虐殺は、外国人労働者への憎悪・嫌悪・蔑視が原因であったように思えるところが、記述がある。これは朝鮮人虐殺とは違う側面であると思う。最近はあまり言われなくなったが、中国人虐殺が「朝鮮人と間違われた」という話が、実はそういうワケでは無いという事だと思っている。
関東大震災では、山下公園と元町のあいだの橋で中国人が殺された記録があります。また、埠頭でも中国人の集団が殺された事が少なくとも証言として残っています。中華街まで10分程度の場所です。
私の祖父は関東大震災発生時は都内に仕事で出ており、そこから当時住居があった保土ヶ谷まで戻ってくるのですが、検問や連行される朝鮮人を見たという話を聞かされていますし、戻って来るあいだの地域では、中国人虐殺の目撃証言もあります。
実際祖父のように家に戻るために移動していて襲われたという話は少なくないです。仲間で徒歩で移動して夜になる、ある者は野宿を選択し、ある者は夜通し歩く事を、一旦引き返す事を選択する。野宿を選択した者はそのまま行方不明になり二度と会えなかった。という話があります。
当時多くの中国人労働者が肉体労働に従事していた三河島では、地震から3日目に、汽車から下車する中国人を一人ずつ鳶口で襲ったという証言もあります。
先日のフィールドワークでは、住居の少し先の保土ヶ谷の谷間の朝鮮人集落が虐殺で全滅した事をはじめて知りました。
少し何かが違っていたら、祖父も被害に遭っていた可能性があります。