出目金さんから補足情報を頂いた。
『「その後、この問題はどうなったか。 1932年外務省東亜局第二課が作成した『最新支那関係諸問題摘要(第64議会用)上巻』に「未解決対支要償懸案」として記載されており、その内容は、1936年にも再確認された。/岡田啓介→
木野村間一郎 関東大震災 中国人受難者を追悼する会http://jca.apc.org/1923kantocanan 及び https://t.co/JWjkBHy7oA 』
( https://twitter.com/TR_727/status/1669885628773994497 )
→内閣(広田弘毅外務大臣)の時に当時の東亜局が作成した「昭和11年度執務報告」のなかに、「未解決対支要償懸案」というのがあり、そのなかに「震災支那人誤殺事件大正十二年九月中関東震災の際支那人労働者等にして不逞朝鮮人と誤認殺害せられたる者一七四名 要求額不明」と書かれている。→
→「誤殺事件」や数の誤認、「要求額不明」などとなっていることは問題だが、それでも当時の日本政府が〈未解決の問題〉として認識していたことは疑いない。 …