私自身は、まあ私は中国国籍なのだが、「中国のようになる」や「まるで中国」などと言った表現をしたものの多くは中国への蔑視や嫌悪、憎悪感情を煽る事に繋がっているのをSNSで見てきたし、憎悪感情が悪化しつつあるのをひしひしと感じている。
「その意図は無い」「知らなかった」と言われても差別への批判の際によくある「意図の有無の問題では無い」という事だし、「それでも使うか止めるか」でしかない。
そしてなにより、あっちもこっちも政府の指向性は同じだとは間違いなく思うが、自分達のご先祖さんも似たような事をやってたんだし、昔に戻るみたいな事を取り戻すとしてそれを目標にしてきた奴らが取り戻しつつあるのだから自分達のご先祖さんを例えるべきだと思う。
なぜそれをやらずに敢えて他国を使うのかそこに他国を使う時は変なもんを噛ませているのではないのかなどと最近は心がささくれ立っている事が多いのでついつい思ってしまう。
ちなみに日本共産党の「中共とは違う」的なものにも、そう言ってしまう経緯・理由がある事は理解しているが、憎悪感情等を煽る事になっているのではないかと多少感じている。
あと、この文章で「心がささくれ立つ」というような表現を使ったが、いままで同じ意味合いで「心が毛羽立つ」というような表現も使っていた。
いま調べてみたら「毛羽立つ」は「紙や布などの表面がこすれて、細かい毛が数多く立つ」で「ささくれ立つ」は「(1)皮や先端が細くめくれたようになるさま。(2)気持ちが荒み、とげとげしい態度になるさま。(3)些細な事で人間関係が不和になるさま。」らしい。
「毛羽立つ」「ささくれ立つ」は同じでは無いし、「ささくれ立つ」のほうが悪い事、酷い状況のように思える。「毛羽立つ」必ずしも悪い事ではないのかな。
言葉をいままで間違って使っていたような気がする。
気をつけよう。