"羞恥心の居場所はどこだろうか。ラカンはフランスの1968年の五月革命のとき、デモに参加した学生たちに「革命家として皆さんは、ひそかに主人を熱望している」と言った。ラカンは反発する学生たちに対し、彼らは羞恥心が欠如しており、「過剰な羞恥心ではなく適切な水準の羞恥心を堅持するとき、抑圧をなくそうとしてさらに悪い形態の抑圧を呼び起こすことを防ぐことができる」と提案した。
ラカンの言葉は、変化した資本主義という脈絡のなかで理解しなければならない。過去の資本主義が、享楽を抑圧することに依存する資本主義だったとすれば、現在の資本主義は、いかなる行為も禁止すること自体をタブー視する寛大さであることを特徴とする資本主義だ。
ラカンはここで、社会の崩壊を防ぐためには、最小限の道徳性や抑圧が必要だと主張したのではなく、フランクフルト学派が「抑圧的脱昇華」と呼ぶものに注目した。"