"軍による拉致から生還した日系人もいた。沖縄県にルーツを持つルベン・マキヤさん(67)は1977年3月、建築学を学んでいたブエノスアイレスの大学から出たところで軍に脚を銃撃され拉致された。マキヤさんは雑誌に寄稿した際の署名が過激派組織の略称と一致していたためメンバーだと疑われたと考えているが、本当の理由は分からない…首都郊外の秘密収容所を経て、空軍第7旅団基地の格納庫に大勢の学生らと共に拘束された。足を縛り逆さづりにされ、氷水の入ったドラム缶に沈められたほか、殴打や通電など苛酷な拷問を繰り返し受けた。夜になると軍人らは女性拘束者を人前で強姦した。
拘束者の多くが、重りを付けて飛行機から海に落とされる「死の飛行」の犠牲になった。マキヤさんもその一人になるところだったが、基地の隣でクリーニング店を営んでいた父が懇意の軍幹部に頼み、10月に救い出した。代償として店と土地を接収されて失った。
マキヤさんは拷問の後遺症で障害を負う。だが軍政への怒りよりも「自分のせいで両親が全てを失い、亡くなった」との思いに今も苦しめられている。"