この53歳父、ワイと同年代なのだが、フーン、昭和生まれの一部のヒトはそんな感じっすか。フーン。という感じ。
こちとら子供の頃から違和ばっかでしたが。みたいな。
でもこういう人ら、ちょいワルなホモソーシャルでうっきゃーやってた時期があったんだろうなあ、それがもう得られないからしょんぼりしてるんだろうなあ、気の毒に。という感じもする。
>53歳の父が「多様性社会が生きづらい、自分は人生のほとんどを理不尽・罵声が当然の昭和で過ごしてしまったから、今の時代で許されないことを本当の意味で理解できていない だけど老害になりたくないので沈黙を選択していて、結果的に社会での自由な発言権を失っているため生きづらい」と言っていた
続きのツィート。
>時代ではなくそもそもの人間性の問題でしょとか、理解してなくても啓発系の本ちょっと読めば大きい地雷は避けられるでしょとか思ってしまわないでもないけれど、最近の父親はずっと少し怒りっぽくて疲弊していて、誰かや何かに歩み寄る体力がないように見える 吐露してくれるだけまだ良かったなと思う
また続き。
>「自分の価値観が社会から大きく外れていて、今更修正不可能」である絶望感を思うと、いたたまれない気持ちになる
なんかほんと、もう何年も心の底から笑った父親を見ていないし、何をしてもつまらなそうで、どうしてあげたらいいか分からないんだよな
わりぃけど、以下のところ。
>「自分の価値観が社会から大きく外れていて、今更修正不可能」である絶望感を思うと、いたたまれない気持ちになる
例えばワシ、今は感染対策厳重派ってだけで、そういうことを常日頃から意識させられてたし。
てか、長らく反ジミントーっていうとこでもう明らかに「社会から大きく外れていて、今更修正不可能」過ぎるし。
弱者に合わせて社会作れ、ってずっと思ってたけど、それを許してくれなかったのは政治というよりそういう社会だし。
えっ?50歳過ぎて今更?と。
当該父親の子どもとしては、親父に同情的にいたたまれなくなってる場合じゃなくって。
それまで、そういう人たちがそういう多様的じゃない「社会的価値観」の代弁者として、さんざん傷つけて踏みにじってきた他者のことを思え、っていう気持ちですよ。こちとら。てか現在進行形でもあるんよ。
まあそれができないから苦しいのであろう。
ワイとしてはもっと苦しめとも思う。
おたくらに迫害されてきた側はもっと苦しかったのだぞ?
そしてもっと優しくなろうや。
多様性を否定する人の救われる道、ほんま無いよなあ。
多様性を認めて肯定することしか。
いや、できると思いますけど。
やろうと思えば。貴下の意思ひとつや。
でないといつまでも苦しいままやと思う。
Twitter、ゴミだめと言われてるけど、くだんのツィートについてるリプはひどいものは見当たらんかった。ひどいアカウントは悉くブロックしてた成果かも。