「素朴な不安」という言葉についてここ数日ずっと考えてたけど、〝素朴〟という言葉の選択はやはり間違いだと思う。
この言葉を使うことで、〝不安〟の根底にある排外主義的感情に向き合うことができなくなってしまう気がする。
街中で聞き慣れない外国語を耳にした時なんとなく不愉快な気持ちになるのは何故ですか?
日本国籍者による犯罪報道より、外国籍または外国にルーツを持つ人物によるそれのほうがより気になってしまうのは何故ですか?
それは本当に「素朴」な感情ですか?自分と異なる属性の集団に対する嫌悪、蔑視、その他負の感情が含まれていませんか?
…ということを自分自身問うていかないといけない。「素朴」などという表現に逃げてはいけない。
と思った。