今のところ、キングコングと、小人(リリパット)の国へ行ったたガリバーぐらいしか思いつかない。日本人は、巨大なキャラクターが好きなんだろうか。ゴジラもウルトラマンもガンダムも、すべて戦後の産物だ。どの物語にも、戦争や戦闘が関わっている。ここに何か共通の、巨大である理由"があるのだろうか。その秘密とは何だろう。それは戦後の日本人の、戦後後遺症としての物語なのだろうか。 巨大なものに投影される日本人の自我は、神を見失った国土に超越者を求めて、肥大化したのだろうか。昭和十六年生まれの富野監督はものごころついたころには終戦を迎えており、戦争を知らない子供たち”の世代に近い。 この世代は一方では平和憲法の理想と理念に引っぱられ、 一方では安全保障条約の下でアメリカの核と軍隊に守られ、また、片方では東西冷戦の中で絶えず最終戦争の恐怖を感じ、片方ではベトナム戦争を見て混乱するといった、四方に引き裂かれ収拾のつかない矛盾の中で、体験しなかった戦争について、平和について、考えなければならなかった。戦争も平和も分裂し、ひとことで語れない。