検索魔避けでマストドンに。
Twitter、コミュニティノートは本質的には、誤情報の指摘・注意喚起という意味合いでは、引用やリプライと大差ないかなぁと個人的には思っています。
ただ、何故そうなっているのかはよく分かりませんが、左派、リベラルと呼ばれる界隈は、テクノロジーや新機能について及び腰で、保守やウヨクは使用に積極的です。
Twitterの運営の思想やユーザー層や勢い的にも、どんどんコミュニティノートはそちらの方面で活用され、Twitterは肥溜めのような場所になっていくと思われます。
真っ当な運営であれば、信頼出来る個人あるいは複数の専門家のチェックを経た上でノートを付けるべきとは思いますけど、まぁTwitterですからね。
そして真っ当なユーザーであれば、どこの誰とも知らない素人の個人が書いているノート(に限らずネット全般の書き込み)を鵜呑みにするのはおかしい、こんなものは意味はないと判断して、「ろくでもない新機能」として跳ね除けていくはずなんですけど、SNS時代が到来してもう10年以上は経つだろうに、この有様の日本のウェブ環境、日本人のネット理解ですからね。
コミュニティノートはまだざっくりとしか見てませんけど、素人が書いた投稿を素人の多数決でもって推していくシステムなようで。
普通だったら、「いや、おかしいだろ!」となるはずなんですけど、どうも日本人?というか人間というものは、電子画面に現れる機械的な説明文には驚く脳の仕組みがあるようで。
こんな仕組みのコミュニティノートなんて、自分の思想性・政治性を押し隠し、共感されやすい文章を、機械的・無機的な説明文の調子で書いて適当に付けて、お仲間に見てもらえたら数の暴力の勝ちですから。