ドイツから日本への欧州からの観光客満載フライトで、私はエコノミー席中央部の4人がけの通路側の席だったのだが、となりのおばさんが、「仲間と席を変わってくれないか」という。通路側の席ならいいよ、と言ったら、そうだ、とてもいい席だ、というので見に行ったら、ここだ、という席は、中央部の真ん中の席だった。というわけで、すまんけど変わりませーん、といったら、とても心外な顔をしていた。
そのおばさんは、仲間のおじさんと席を変わり、そのおじさんがやたらと肘を私の方に突き出してくるので、牽制の意味もあり「通路に出たいときにはいつでも気軽に言ってくれ」と英語で言ったら、何を言っているのかわからないというので、言語を聴いたらイスラエル人だという。Google翻訳でヘブライ語にしてメッセージは通じた。でも、一度も聞かずに、仲間の二人にどいてもらって出ている様子であった。
そのようなわけで彼らがイスラエル人のグループだと知ったわけであるが、私は「まあ、領土拡張が好きな人達だわなー」とか一瞬差別的なことを考えてしまった。本人たちは実は反ネタニイェフ・パレスチナ擁護の反体制闘士であるかもしれず、失礼ではあるのだが、なにかと図々しい人たちであった。私の知人のイスラエル人たちはもうすこし礼儀正しい。日本にもいろいろいるのと一緒だわな。
で、その方々の横でダウンロードしていたネトフリ映画を三作みていた。いずれも第二次世界大戦におけるドイツ周辺諸国の市井の人々の抵抗や悲劇を描いたナチスの横暴を巡る戦争映画である。どれもよい映画。デンマークの英国ロイヤル空軍による誤爆の話は初耳であった。
スヘルデの戦い(オランダ)
ナルヴィク(ノルウェー)
その瞳にうつるのは(デンマーク)
戦闘の最前線が移動して生活の場がナチスから連合軍側へと変わる瞬間(あるいはその逆)は、欧州ではあちらこちらで経験されたのであろう、リアルな変化なのだと思うが、沖縄をのぞく日本の場合はそれが「青空」「玉音放送」のあと日数が経ってから米軍兵士たちがジープでやってくる、という形であるのに対してドイツ周辺の欧州だと兵隊が命からがら逃げていってほぼ間をおかずに別の兵隊が泥まみれでやってくる、という形である。経験として質的に決定的に違う、と思った。日本で経験する台風の通過のような、そんな感じである。沖縄の場合は追い詰められた軍が市民を巻き込んで殺すないし自害強要まで起こしたので、これまた欧州、日本本土とは次元の違う話である。