第二次安倍政権は第一次よりも酷かった。下野の怨念である。よしもと芸人と温泉につかるところをテレビ中継なんてことまでしていた下野の時代。「悪夢の民主党政権」は安倍晋三にとって正直な思いであったのだろう。今のトランプをみていると、似ているなあ、と思う。
なんというか、教養というか、文学的な感性がほぼないような人(たとえば首相が休日の間に読む本とかからうかがえる)が怨恨を持つとマジで怖いと思うんだよね。自分を相対化できないから。
最近、毎朝朝飯を食いながら「学力喪失 認知科学による回復への道筋」(今井むつみ)を10ページづつ読んでいるので、参考にしてしまうわけであるが、物事を理解する枠組み、すなわちスキーマを柔軟に使いこなすことが学びのもっとも根幹にあるとされている。これは古めの言葉でいうと「教養」なわけであるな。さまざまな枠組み、パラダイム、世界観を知り、その中である程度自分であれこれ考える、という、居場所を変えながらその場所その場所の枠組で考えたり感じたりする、それをいろいろな場面で経験していることがすなわち教養で(まあだから、大学生に哲学は必修であるべし)、今井用語だと、「スキーマ」になるわけである。ただし、スキーマは教養よりもっと柔軟な感じであるな。
スキーマがガチガチでほぼ一つしかない、みたいな人(真性パンクである)の恨みは、恨みの対象に対する無理解でもあって、すなわち共感がゼロ。これはもう、その恨んでいる自分に対する距離感がゼロだからなんでもやってしまうのである。
真性パンク。私の友人はベルリンパンクが花盛りのころのまさにそのベルリンのパンクの高校生だったのであるが、仲間のパンクに「前進あるのみ」と決めた人がいたそうで、この人はかならず一直線に目的地に向かうことを金科玉条にしていたそうで、そのために信号も無視、人にあたっても前進、を繰り返していたそうである。で、彼がギターを引くときもかならず一方向に弾きおろす、つまり、後戻りはしない、と徹底していたそうである。今では笑い話だが。
今井むつみさんは慶応SFCの先生である。本はちと押しが強い書き方なのが難であるが、オノマトペの話とか内容は面白い。あと、研究で作り上げた、子どもがスキーマを理解しているかどうかのテストって、よいなー、と思うが、教育産業と結託してしまって無料アクセスできないんだわこれが。初等教育の非対称性からして無料配布すべきだと思うが、そのような哲学はないのであろう。
教養のイメージがこれ、というのもガチガチのスキーマであるわな。図書の人にならなくてもたとえば多文化背景の人間は複数のスキーマを飛び回りながら生きているので、相対化してものごとを眺めるのがあたりまえになる。転職していろいろな職業体験を積む、とかもそう。