95年の阪神の地震、立て続けに起きたオウムの地下鉄サリン事件は地震の被災者であったし、サリン事件に関しても今から考えれば当事者意識がかなり強く、やはり強烈な1995であった。
オウム真理教の選挙運動などはよく見かけて笑いものにしていたし、94年の松本サリン事件では父の同僚の子で私と同世代の人が犠牲者になった。またその父も地下鉄が一本遅れればサリンが撒かれた地下鉄に乗車していたはずである。
96年にドイツに引っ越したのは理由はそれだけではないが、95年の1月から春にかけてはじまった底を失った社会の気分と、厳しい理系大学院生活で強烈に変容しつつあった自分、それらが合わさって、「全部変えなければ」という精神状態の中、いろいろなものを捨ててドイツに向かったのだった。同じ頃、山登りの後輩が雪崩で死に、その追悼文集にこの「全部変わらなければおかしい」という文章を叩きつけるように書いたのだが、手元にはもう残っていない。
96年当時、常連だった居酒屋で「死ぬ気でドイツに行く」と言った私に「絶対にそんなことを言っては行けない」と激怒した大学院の先生は、その20年後に亡くなった。ドイツから一時帰国した私に「もう死にそうだし」と言って入院先の病院から脱走して待ち合わせたのはその居酒屋で、「好きなだけ食え」と奢ってくれた。いつも勘定は「飲み代は自分で払うものだ」と言っていた先生である。奢ってくれたのはそれが最初で最後になった。