三十一の二乗🗿<p><a href="https://toot.blue/tags/%E5%AF%8C%E9%87%8E%E7%94%B1%E6%82%A0%E5%AD%A3" class="mention hashtag" rel="tag">#<span>富野由悠季</span></a> <br /><a href="https://toot.blue/tags/%E8%90%A9%E5%B0%BE%E6%9C%9B%E9%83%BD" class="mention hashtag" rel="tag">#<span>萩尾望都</span></a><br /><a href="https://toot.blue/tags/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0" class="mention hashtag" rel="tag">#<span>ターンエーガンダム</span></a> </p><p>割れた鏡が映しだすいくつもの像のようだ。"ガンダム"の中にもまた、ひとことでは語れない戦争の姿がある。富野監督が戦争に、それに関わる人間関係に、こだわる理由というのはなんだろう。でもそれは、監督自身にも答えられない、解らない理由なのかもしれない。もうひとつ、"ガンダム”で重要なのは、世界の変化だ。ひとつの世界が終わり、新しい世界が生み出されるのに伴う、価値観や考え方の変化だ。誰も最後まで、変わらぬ人間ではいられない。何かを失い、また何かを得る。 そこにはまた、思春期の子供から大人へ向かう少年・少女たちの成長の儀式もある。もしかしたら、成長に伴うイニシエーションが消えてしまった現代社会の中で人々は、 その成長の儀式を再現するために、ガンダムを愛し、必要としてるのかもしれない。"ガンダム"の中にある戦争や戦闘、世界の変化や再生はまた、少年期・少女期の成長するあやうさと共鳴しながら、ふるえながら、人生の避けがたい生と死の深い淵を見つめさせてくれる。</p>