ドイツの研究所に所属していたときに、日本から集団で視察に来る役人とか政治家とかXX研究所のエラい人とか、そのような方々が来ると、こちらの所長とかXX部門長、事務の要職のひととかが集まって簡単なスライドを眺めながら歓迎の雑談を行い、そのあとに研究室をいくつか訪問してそれぞれ説明をする、というプログラムが組まれることが定型化しており、そこに日本人の私も組み込まれることが多かった。 で、順番が私の前の研究室のPIが彼らをつれてきて私にパスするわけであるが、大抵は疲労困憊していて、日本語で喋り始めると、安心でもするのか座るやいないや頭をがくんと下げて寝始める人達が非常に多かった。寝不足に加え、夜の飲み会みたいな食事が多いからなー。
税金を原資に大枚をはたいてビジネスクラスの視察でやってくる日本のエラい人たち、そんな感じである。観光気分の人たちがとても多い。中にはごくたまにちゃんとした議論ができるひともいて、そのようなごく一部のまともな人達で日本はどうにかなっているのだなー、と私は思っていた。
一人でやってくる研究者はもちろん観光気分の人は稀である。ガチである。集団がダメなのである。
日本の人は一般にものすごい労働時間でそれでも若い人は真面目にそれを消化して行くが、思うに40代まで頑張り過ぎてそれ以降は燃料切れになる人が普通なのではなかろうか。人間が一生にそうやって働ける量はもしかして一定の時間の長さにだいたい決まっているのかもしれない。
話はズレる。
昭和の時代、未来の人類はロボットであらゆる作業が自動化され、労働時間は短くなるはずであった。少なくともエアカーがスマートに高層ビルの間を飛び回る絵本はそうであった。今、それは現実に可能な気もするが、目下の状況だとその自動化された社会で金を儲けるのはごく一部の人間に限定されて行くのは明白である。富も余暇もごく一部に限定されてゆき、ほとんどの人間は「仕事をしている」という社会的な地位を確保するためだけの無意味な仕事(スーパーブルシットジョブ)で時間をつぶし、お情けで支給される生きるのにギリギリの賃金で一生を送ることになる。誇りもへったくれもない。本来の未来のように全ての人間が自動化された社会でなかば遊んで生きて行くには、やはり富の再分配がますます必要になるにである。
上から一週間後につなげる。これね。遊んで暮らせる未来が来つつあることを社会的に合意し、ごく一部の働くひとは労働効率が爆上がりなので所得税をものすごく上げマジョリティはベーシックインカムで遊んで暮らすか、効率化した仕事をワークシェアリングで週休6日にするか、である。
https://bsky.app/profile/teruminishii.bsky.social/post/3lqoaglhy7k2e
技術が発達したので、働くのはたまに、ほぼ遊んで好きなことをして暮らせる社会を目指そう、という意見をどこにも見ないのは実に不思議なのである。実現可能だと思うんだよね。