「アジア人の存在が無視される」という話、これよく思うんだけど、東アジアの人は存在の気配を自然に抑えるようなところがあって、その美徳がネガティブに作用することがある、とも思う。私は逆にそれができないので、無視される経験はほぼないが、日本社会で「立っているだけでものものしい」「物騒」とか言われる。あるいは授業参観に行くとだまって隅にいるだけなのに子供達の間で話題になる。
「気配読み」の感受性が異様に発達した人がいるのも東アジアの社会の特徴だよなあ。大学の時の山登りの上の学年の人でそのような人がいた。落ち着かない気分で理由もなく心がトゲトゲして、しかしながら何か言うわけでもなく自分的には普通に黙って座っているだけなのに「ちょっとお願い、やめてその感じ」とわざわざ言いに来るのである。気配がダダ漏れなのだそうだ。 彼女はその後、優秀な編集者になった。